創業ストーリー

なぜらーめん屋だったのか

実はらーめん屋をやりたくてオープンしたわけではなかった。
飲食業で展開していこうということでもなかった。

では何故にんにくだいちがオープンするに至ったのか。

遡ること15年前、会社を起業した。
起業してからの半年間は一人きりの会社を誰も相手にしてくれず、
ずっと注文の取れない日々が続いた。

それでも毎日営業に行くと、怒鳴られ、水をかけられ、警察を呼ばれ、
一人で負けるわけにはいかない中で、泣きそうになる心があった。

自分は外に出る勇気がなくなってきてしまっている。
でも注文を取るためには外に出なければいけない。
その中で何を考えたか。

外に出て、おいしいものを食べに行こう。

情けないけど、おいしいものを食べに行こうと外に出た。
注文を取るという目的は変わらない。外に出なければ挑戦せずに負ける。

おいしいお店を探しては一回だけ食べに行き、
「注文が取れたらこのおいしい店にもう一度行こう。」
そういう風に考えるようになった。

その中の一つにらーめん屋さんがあった。

注文が取れるようになったら、もう一回このお店にあいさつしに来よう。
「おかげさまで外に出続けてることができて、注文が取れました。」
そこがスタートだった。

「宝来」の閉店

2014年2月
いままでお世話になっていた宝来が閉店するとの一報を受ける。
宝来は国分寺で50年以上も多くの人に親しまれていた中華料理店で、
私たちも何度も足を運ばせてもらっていた。

その宝来に「今までありがとうございました」とお礼をしに行き、
そこで宝来のご夫婦に「継ぎます」という話をした。

料理やらーめんの味を継ぐという事ではなく、
宝来の「心」を継ぐと決意した。

そして宝来のご夫婦から"三つの味"を教えていただく。
お迎えする味、おもてなしの味、送り出す味

ここから、にんにくだいちオープンへの一歩が始まった。

にんにくだいちオープン

店を開くという事は決まったが、初めかららーめん屋とは決まっていなかった。
定食屋やおにぎり屋など、なにをするのかも決まらず迷走し、
時には衝突しあうこともあった。

らーめん屋と決まった後も、仕入れはどうするのか、
内装は、小物は、制服はと問題は山積みだった。

らーめんの味に関しても様々な課題に挑戦した。

あの時のようならーめんの味を、この味をというものを創ってみたい。
「宝来」で料理をたくさん食べさせて貰ってきたからには、ボリュームを出したい。
こってり系ではなくあっさりしていつでも食べれるようならーめんを創りたい。
にんにくをはじめ、野菜をたくさん使った健康的ならーめんにしたい。

だが、やるからには本気でやるメンバーたちが集い、
一つも妥協することなく「これだ」と言えるらーめんを創り上げた。

そして2014年10月1日
国分寺の地に、にんにくだいちがオープンしました。